「伊達殿、それがしに遠慮なく!」 「shut
up,テメェはマジで黙れ」 けものみちの先頭を歩くのは佐助で、政宗を心配してひっきりなしに振り返るのは幸村だった。 そして最後を歩くのは、顔面蒼白して荒い息を吐いている政宗、という順番だった。 痛みによるためかそれとも本当に幸村がうるさいのかは知らないが、彼は相当に殺気立っている。気の弱い人が見たら腰を抜かしそうなオーラを纏って、奥州の独眼竜は一人で歩いている。 アバラはたぶん折れているかひびが入っているか、ともかく尋常な状態ではない。 しかし政宗にしてみれば、他人に手をひかれて本陣まで戻るなど考えられないことだった。何はなくともプライド優先である。徹底していていっそ清々しいレベルだ。 佐助はなんとなく察して、すでに何も言わない。幸村は察していて気づかぬふりをしているのか、それとも本当に気づいていないのか、おろおろと政宗を振り返り、歩む速度を変えたりしている。またその微妙な気遣いが政宗には気に入らなかった。 何が悲しくて敵に気遣われなければならないのか。 歩みを進めるたびに身体を蝕むような痛みに襲われる。そのせいでだいぶ他の感覚は薄れてきていた。 ふと、幸村は視線を前方に戻す。けものみちの中、道を作っていた佐助がぴたりと足を止めた。 「佐助」 「承知してますよっと」 二人が静かに武器を手に構えた。何かいる。 「伊達殿、離れてくだされ」 「ha!冗談じゃねぇ。Partyだったら混ぜてもらおうじゃねぇか」 「よくよく頑張るよねぇ独眼竜の旦那もさ…」 足音が聞こえてきた。土を蹴る衝撃が足の裏から響いてくる。予想通りか、と佐助は舌打ちした。背後で、政宗が抜刀した。痛む身体を庇っているためか、片方だけで三本。いきなり六爪で抜こうとするあたり、本当にどんな戦馬鹿だよ、と佐助などは思う。 足音が近づいてくる。相手は止まる気などさらさらないようだ。佐助は走りこみ、相手の姿を確認する前に地中に潜った。猪だ。相当興奮している。目指すのはまっすぐ、幸村と政宗のいる方向。 殺気に応じて地中から躍り出る。出足をくじかれる形で猪の足が止まった。しかし巨体のためか宙には浮かず、そのまま悲鳴のような鳴き声をあげて猪が倒れる。 「旦那!」 そのままカラスにつかまって間合いをとった佐助の声に応じるより早く、幸村が走った。 今までは何の気配もなかった二槍の穂先、空を切るような音よりも耳障りに鈍い音がして、炎が灯る。ほとんど一瞬だ。幸村の気に応じるように灯った炎は、そのまま猪の身体を燃やした。 もがきながら猪は、そのまましばらく苦しんでいたが、そのまま動かなくなった。 「伊達殿、無事でござるか!」 「たたっ斬るぞテメェ…」 無事どころか猪は政宗の傍にも近寄れなかった。佐助と幸村の絶妙な間合いであっという間に片付けられて、何もしていない。 不本意にも守られたのが政宗にとっては相当気に食わなかった。いつもなら最初に突っ込んでいくのに、このアバラのせいで、と思うと舌打ちしてしまう。 「…そうだ、この猪で腹を満たすか」 「ああ、そうだね。先は長いし」 こちらの殺気など全く知らぬふりをされて、佐助と幸村はさっさと猪をさばき始めた。 無理ならばそれがしが担いでいく、と断固とした眼差しで言い切られて、政宗は起き抜けの不快がさらに増したのを感じた。 「誰がテメェに担がれるかってんだ」 「しかし伊達殿、無理は」 「ここまでで俺がいつ無理したって?」 何もかもじゃない、と佐助が小さく突っ込んだが、政宗の射殺すような視線に口をつぐんだ。 「我らが戻る道は、けものみちで相当険しいようでござる」 「そうかい」 「伊達殿!」 「ンだよ」 「甘えてくださって構わんのでござるよ!」 「誰が誰に甘えるってんだテメェいっぺん殺すぞ?」 そんな二人のやり取りを、佐助はちょっと離れたところで聞いている。別に普段と変わらないような気がする自分の主は、それにしてもちょっとばかり浮かれている気がしなくもなかった。 この状況を楽しんでいるような。 あれだけ殺気だった人を前にして、よくもそんな軽口が叩けるものだと感心する。空気を読めないのかそれとも豪胆なのか、どっちにしろ同じ意味かとぼんやり考えていると、政宗がゆったりと起き上がった。やはり動きにキレがない。 「伊達殿」 「うるせぇよ…」 「それがし、自分も相当に融通が利かぬが伊達殿ほどではないと思うぞ」 「おまえは本当に黙れ、おいそこの忍びも黙らせろ。でないといつ斬るかわからねぇぞ」 その言葉に、佐助ははいはい、と頷いてはみたものの。 幸村が一瞬こちらに視線を寄越した。いかにも同意を求めるように目が笑っていた。 彼が寝ている間に、話していた事を言っているのだ。政宗はおそらく幸村を斬らない、と。 あの時はどこからそんな自信が、と思っていたが今の発言で理解した。脅すような言葉に隠れた真実だ。少なくとも今この場で斬る気はない。 それがどういう理由かは知らないが、それを知って佐助はため息をついた。 敵の大将と馴れ合ってどうするんだと思う反面、こうして恩を売れれば和睦にも向かえるだろうか。 「行くぞ」 「良いのでござるか」 「良いも悪いもねぇだろ?さっさとしろ」 「うむ!」 痛みに顔を歪めているくせに、脂汗が浮いているくせに、まっすぐ歩こうとする後ろ姿を見送って、まず幸村が歩き出した。まとわりつくように政宗の周囲を歩く。 うるさがられてもなお、やめようとしない幸村は楽しそうだった。 今、合戦中なんだけど。 しかし佐助はそれでも殺し合いしてるよりはいいか、と苦笑した。この呑気さ、たとえば伊達の家臣団に知られたらどんな顔されるだろう。
合戦がどうなっているか確認してくる、と佐助が先に一人、姿を消した。 現在どういう戦況になっているのかは、政宗にも気になるところだ。布陣を敷いて、武田を牽制するように立ちはだかった。 そこで幸村に不意打ちで戦いを挑まれ、今に至っている。 伊達の家臣にはそこまで無鉄砲な者はいない。政宗がいない状況で、引くことはあっても無理に前へ出ることはしないだろう。うまく立ち回って、戦に持ち込まないでいるだろうか。 「伊達殿、戦が気になるのでござるか」 「…まぁな」 火であぶった肉を食べながら頷いた。食べる動作一つにも身体は軋むが、それにしても食べなければ底力というものは沸いてこない。 「それがしもでござる。佐助が先ほどまでここにいたということは、戦にはなっていないのでござろうが」 「…なるほどな」 何も考えてないわけじゃないんだな、と思って政宗は一つため息をついた。 けものみちはやはり険しい。これでも前方を歩く二人が道を作って、少しは歩きやすいのだ。だというのにこの歩みの遅さには辟易した。走ろうにも身体がうまく動かない。人の身体に、無駄な部位などないのだと改めて感じる。 最初にそう感じたのは、幼い頃、片目を失った時だ。 片目が見えないというのは相当なハンデだと知った。視界が狭い、感覚がつかめない、差し出された武器を、取り逃すことが多かった。 しかしそれは、もう昔の話だ。 「伊達殿はどうして天下をとろうと考えておいでなのだ?」 「what!?なんだ突然」 「前から考えておったのだ!」 「俺はテメェに聞きてぇがな。おまえどうして信玄の下にいる?おまえの力がありゃあ、自分で天下、とろうって考えねぇか」 「…天下を獲った後はどうなさるおつもりか」 「とりあえずは異国の文化を広める」 「…ふむ」 「この国なんぞより面白ぇモンがたくさんあるからな。ガチガチの考え方の年寄りどもに新しい風を吹き込んでやる」 「それがし、そういうことを考えるのが苦手でござる。…そもそも、戦が終わるのだろうか」 「なに?」 「思えば、伊達殿もそれがしも、生まれた頃にはすでに乱世であったはず。それが終わるところ、想像はつくか?」 「Ah−…all
right、言いたいことはわかったぜ」 生まれた頃にはすでに戦はあちこちで始まっていた。小さな諍いが収まりきらず、次第に大きくなり醜くなり今に至る。武人が戦で死ぬのはむしろ当然のことだった。幼い頃には、父が何故信玄の下に大人しく付き従っているのか理解が出来なかったが、父が死んだ日、信玄に叱られ諭されてこの人についていこうと決めた。 それからずっと、戦の火は収まらない。 「でもな、真田。想像できちまう先の話なんてつまんねぇじゃねぇか」 だから、たいした年の差もないこの男が、ただ伊達家の嫡男であるという理由で天下を獲りに出るのを、不思議な感覚で見ていた。 そこまで考えられるものなのか、それ以上に背負いきれるものなのか。 「いいじゃねぇか、想像のつかない将来なんてゾクゾクするぜ。楽しんでやろうぜ」 ニヤリと笑う政宗に、幸村は一瞬背筋に震えが走った。電撃が走ったような感覚だ。なんだ、今のは。幸村が両の目を瞬かせてそれでもじっと見つめていると、視線の先の政宗かゆっくりと立ち上がった。 休息は終わったということだ。 「だ、伊達殿」 それに縋るように、慌てて声をかける。何を言うつもりでもなく、ほとんど反射的に。振り返った政宗に、そうだ、振り返ってほしくて今声をかけたのだと気づく。自分がとった行動の、意味はわからないが。 「なんだ」 「お館様は立派な方だ。是非一度、武田の酒宴に参られよ。それがし、歓迎いたしますぞ!」 「…和議の申し入れか?」 「い、いやそうではないのでござるが…」 「いいぜ、どうせならひとさし舞ってやろうか」 「ぜ、ぜひに!」 おもわぬ言葉に心が踊った。戦場にいるこの人が、伊達家の、奥州の筆頭として先陣に立つ姿ならば幾度か見た。 その人の舞を舞う姿を、幸村は本当に見たいと思う。 あまりそういった風流には通じていないのに。今まで見たいと感じたことすらなかったが、今はどういうわけか、本心からそう思った。 政宗が笑う。なんだろう、酷く心臓が高鳴っている。 まるで戦場を駆け抜けている時のようだ。しかし戦の時の高揚感とはまた違う感覚が渦巻いている。 「伊達殿は良き男でござるなぁ」 「Ha!何を今更」 「この幸村も、伊達殿にそう思っていただきたく!」 「精進しろ」 幸村の言葉に政宗も冗談まじりに言い返す。 身体の痛みは引くことがない。喋れば喋るだけ消耗することは目に見えている。 しかし何故か政宗はずっと律儀に言葉を返してやっていた。腹を満たして多少は元気が出たからだったかもしれない。幸村が、本気で自分を伊達の本陣にかえそうとしているからかもしれない。 そういや一応、ほとんど遭難に近い状態だったな、と思って政宗はこみ上げてくる笑みをかみ殺した。仮にも合戦中、仮にも相手は敵の武将だ。幸村に首をとれよと言ったが、この状況であればこちらがそうすることもできるはず。 なのに、刀を抜く気はしない。一応、戦う気のない奴を殺しても楽しくないからだ、と自分を納得させて、政宗は歩き出した。 先はまだ長い。
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