けもの道とも呼べぬような中、先頭を歩きながら幸村はさてこれからどうするか、と考えていた。 このまま歩いていけば、たぶん敵か味方か、どちらかの陣地の程近くに出れるはず。 たとえばその時、武田軍の誰かが自分を見つけた時。もしくはその逆の時。自分は無事に政宗を伊達の本陣まで送り届けられるだろうか。 もちろんその場に佐助がいれば、本陣まで行く必要がどこにあるんだ、と懇々と諭されていただろうが、今の幸村にそういう絶妙の合いの手は入らない。 後ろを歩く政宗は、静かである。静かではあるが、ビリビリと殺気を感じている。しかし幸村は背中に携えた武器を手にしようとは思わない。あれは、自分に向けられたものではない。 崖は相当な高さがあった。あの高さからまっさかさまに落ちて、よくあれだけの怪我で済んでいるものだと佐助は呆れたが、たしかに実際その通りで、それでも自分について自力で歩いてくる政宗の精神力と体力はずば抜けている。 それを言ったらかすり傷程度の幸村はどうなるのか、と問い詰めるべきところだが、もちろん幸村にとってそれはどうでもいいことだった。 「伊達殿」 「おう」 案外しっかりした声がかえってきて、幸村はとりあえず安堵した。 四方八方に発している殺気は手負いの獣そのもので凄まじい。抑制が利かなくなっているのか、この状態ならば多少姿が見えなくなってもすぐに見つけ出せるだろうな、と思う。 すでに何度も野生の獣に襲われている。あの猪以外にも、何度も。 ほとんどが、政宗の殺気に怯えて攻撃を仕掛けてきているはずだ。自分の縄張りにこれだけの殺気を持った何かがいれば、獣たちは怯えるだろう。 「やはり辛いのでは」 「そろそろ飽いたな、このやり取りもよ…」 「む、そうかもしれぬ」 実際、何かあるたびに幸村はそう言い続けてきた。飽きたといわれるのも当然ではある。 最初は律儀に怒鳴り返されていたが、今の返答がやや力ないものだったのが気にかかる。 「無礼だぜ、テメェ。黙って前見て歩いてやがれ」 「…いや、その。なんと申せばいいのか…」 「what?」 「…わ…意味は『何だ』、でござったかな?」 「good,よく覚えたじゃねぇか…」 「気づいておられると思うが、伊達殿の殺気、凄まじいでござるな。獣たちが怯えておる」 「だからなんだ?前ばっか見てるのが怖ェか?」 「いや?それがし、自分に向けられた殺気であれば寝ていても気づきまする」 その言葉に、政宗が一瞬絶句したような顔をつくった。片目が驚いたように見開かれる。しかしすぐにそれは薄い笑みを浮かべて細められた。 「俺が不意打ちしてくるってことは考えねぇのかよ」 「政宗殿が刀を抜いて打ち込んでくるのと、それがしが槍を構えて突き出すのと、どちらが早いでござろうな」 「okey,上等だ。ここでやってみるか?」 「伊達殿、これ以上無理をされるのはいかがなものかと」 「うるせぇ、行くぞ!」 抜いた刀は一気に六本。六爪だ。防ぐより攻めろという戦いだ。ならば話は早い。幸村は眉を顰めたまま槍を二振り、握り締めて構えた。殺気が自分に向かってくるのがわかる。今まで四方八方に散らばるようだった殺気が凝縮して自分に向かってきている。 今、この人の関心は確実に自分に向かっている。 そう考えると、幸村はゾクリと震えが走った。恐怖というのとは違う。武者震いというやつだろうか。それとも違うような気がする。なんて言えばいいのか、こういうのは。 わからないまま、政宗が走りこんできた。今の今まで何とか歩いているという風情だったのはどこへやら。もしかして戦うということに、異常な執着でもあるのだろうか。怪我などしているとは到底思えない間合いの詰め方だ。 刀と槍と、戦い方は違う。間合いの広い槍はその分、小回りがきかない。だからこそ、間合いに入られないようにして戦うべきだ。速さでは確実に政宗の方が上回る。幸村はとっさに初段の攻撃を防ぐように槍を突き出す。当てる気のない槍の動きは少しだけ鈍い。 わかっているという風に、一瞬政宗が笑った。 さらに素早い動きで、彼が技を繰り出そうとしてきたのを、幸村はどこか冷静な頭でそれはまずい、と呟いた。 そしてそのまま、半歩分身体をそらした。見えるのは、怪我をした身体で無茶な技を出そうとしている政宗の刀の軌道だ。 踏み込んで、槍は一本放り出した。振り返り様に利き手とは反対の無防備になっている腕を掴む。技の途中にそんな無茶な止め方をすれば、もちろん力を殺しきれない。 「な…っ!!」 突進しようとする力と横から止めようとする力がお互いを引っ張り合って、気がつくとお互いもつれるように地面に転がった。 「…ッ」 「…今度は逆になったでござるなぁ」 「テッメェ今ので腕とれそうになったじゃねぇか無茶しやがって!」 もつれあうように転倒した二人は、今度は幸村が下敷きになっていた。 相当の力が発生していたような気がする。よくあの間合いと一瞬で、政宗の左腕を掴んだものだと自分でも感心した。 「伊達殿の方が無茶でござるよ!無理に間合い詰めようとしなくともよいではないか!」 ふと異変に気づく。政宗が動く気配はない。いつもなら、どちらかというとすぐに退いてしまいそうなものなのに、幸村の上で浅い息を繰り返す。 「…大丈夫でござるか」 頭だけ動かして、様子を窺おうとすると政宗がようやくゆるゆると身体を起こし始めた。 「…いてぇ」 その言葉に、幸村の中で何かが音を立てた。 「やはり!やはり痛いのでござるな!?無理はよくない、それがしがおぶって…!」 「何嬉しそうにしてやがる」 恨みがましい目で見上げれた。ようやく身体を引き起こし、幸村から離れたところの政宗の頬には、汗で張り付いた髪の合間に相変わらず光は失っていない目。 顔色も悪いし、もうずっと痛みを押し殺して押し殺しきれずに殺気立って周囲の獣に存分に恐怖を与えていたこの男が、ほとんどはじめて口にした正直な言葉に幸村は不思議に興奮していた。 「う、嬉しいわけではござらぬ。しかし何故だかわからぬが、伊達殿がはじめて痛いと言ったと思うと嬉しいのだが…おかしいか?」 「あー…畜生、最悪だ」 さっきからおかしい。いやそもそも昨日から。眠りに落ちる瞬間の政宗の顔に見惚れてしまったり、全神経を集中させて迫り来る殺気に震えが走るほど興奮したり。そして政宗の素直な言葉一つにここまで舞い上がるのも、やはりおかしいのかもしれない。 もしかして外傷はないが、頭でも強く打ったのだろうか。 だからこんなに、この男一人に一喜一憂したりするのだろうか。何かあるたびに、全身で感じるのは、なんて感情だろう。 「伊達殿、それがしがおぶっていく。もう断りきれる状況でもござらぬな?」 「shit!」 「…たしかそれは、えー…嫌だとかそういう意味でござったかな」 「……さぁな」 「では、肩を貸す。それくらいなら許していただけるだろうか」 そう言って笑えば、もうかえってくる異国の言葉はなかった。 肩を貸して歩きながら、幸村はすっかり閉口していた。 あるだろうとは思っていたし、それは予想通りではあるのだが政宗の身体は熱を帯びている。 しかもあまりよくない、篭った熱だ。おそらく怪我のせいだろうが、それにしてもよくこの状況でここまで来たものだ。ほとんど誰の手も借りず、よろめきながら。 「伊達殿、やはり熱がひいておらぬな」 「……」 「身体は熱いが芯の部分が冷えている」 「もう慣れた」 「伊達殿は剛毅でござるなぁ…」 肩を貸しても、出来るだけ自分の力で歩こうとしているのがわかる。もうそういう気性なのだろうが、それにしても頑固な性格だ。自分も佐助などには頑固だといわれるが、上を行く頑固者だ。 「もう少しでござるよ」 もう少し。 もう少しで、終わる。 幸村は自然と首を傾げた。元々政宗を、伊達の本陣に戻せばそれで終わりだ。 しかしそう思うと妙に寂しい気がした。何が寂しいのかといえば、当然それは政宗といれる時間が終わることに対して、だ。 怪我をして発熱までしているくせに、決して弱音を見せようとしない、しかもどれだけ弱っていようと決して精神力だけは折れることのなさそうなこの男。 一緒にいると、楽しい。 一度だって自分はこの道中、不安を感じたことはなかった。崖から落ちようが、なんだろうが。 ああいう状況の雨は、体温や体力を奪われる。もちろん五体満足だったからこそ大した不安もなかったのかもしれないが、それにしても自分は本当に、当然のように無事に戻れると信じていた。 そういえば、佐助が何だか言っていた気がする。 こういう状況の時、一番危ないのはどういうものか。それは外敵でもなんでもなく、本人たちの意志の弱さだ、とか。 無縁のものだったので、その時は頭半分で聞いていた。 そして、改めて思う。 「むぅ」 「…なんだよ」 「い、いや…。その、伊達殿、それがしの言った酒宴の話は覚えておられるか」 「Ah−、覚えてるぜ。それがどうした」 「お招きしたら、来ていただけるだろうか」 「なんだ、俺の舞がそんなに見たいか?」 「い、いや。そうではなく…いや拝見したいが!その、またこのような形…ではなくて、話す機会があればと」 必死に言葉を紡ぐ自分に、幸村は妙に笑い出したい気持ちになった。 なんだろうこれは。なんでこんな必死なのか。 また会いたい、と言えばいいのに、何を遠まわしに言おうとしているのか。 何を避けて通ろうとしているのか。自分の気持ちが、さっきからチラチラ見え隠れしている。 認めたいような、認めたくないような、そんな気持ちだ。 「そんなに俺と話してぇのかよ。気持ち悪い奴だな」 「ひ、酷いでござるよ」 「そんなに会いてぇなら、テメェから来い。歓迎してやるぜ」 「! 本当でござるか」 うなだれかけた瞬間に、また力いっぱい立ち直った幸村に、政宗は苦笑気味に笑った。 「Partyは楽しくやらねぇとな」 「むぅ!それがし俄然燃えてきたでござる!!」 「Ha!おっかしな奴だぜ…」 「それがし思うのでござるが」 「なんだ?」 「遭難するなら伊達殿とに限るでござるな!」 「…そりゃあ光栄だ。俺は真田幸村だけは勘弁だがな」 「酷いでござる!それがしは伊達殿が良い!!」 「…いや、良いって言われてもな。二度はねぇだろ」 「あってもよいではござらぬか!」 「いいわけねぇだろ馬鹿が」 「しかし!しかしそれがしは伊達殿が…良…い…?」 「…どうした」 「む、いや何でも」 「何でもじゃねぇだろ」 「そ、その」 「さっさと言え」 「くれ…?くれいじぃ…な発言をしてもよいでござろうか」 「今更だろ。なんだよ」 「そ、それではその、それがしっ」 「おう」 「伊達殿を離したくないのでござるが、これはどういうことでござろう…」 「………………………そいつぁ本格的にcrazyだな…」 言葉にしてみたら案外あっさりと自分の中に一つの事実が転がっていて、妙な気分だった。 改めて、自分の中でひとつ、新しい世界が開けたような、そんな気持ちだ。 本当に、出来ればこのまま武田の本陣に走って、連れていってしまいたい、なんてさすがに口にしたら六爪抜刀されそうだ。 しかしそれはどうしようもない本心なので、幸村は続けて呟いた。 「それがし、伊達殿のこと好きなのでござるなぁ…」 「…………」 しみじみ呟いた幸村は、それからひとつ、大きく息を吸い込んで口を開く。 お館様と掛け合いをする時のような、あの勢いで。
「それがしは伊達殿が好きでござるぅぅぁぁああ!!!」 幸村の魂の叫びが、こだまして響いた。
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