ハッピービパーク3



 夜―――。
 佐助はまだ戻らない。
 結局あの後、痛みを極力無視し、幸村を最大限にこき使って政宗は例の山菜で荒っぽい料理をつくりあげた。
 あれを畏れることなく食べた幸村も幸村だ。しかも何の異常もないとはどういうことだ。
 おかげさまで政宗自身もアレを食べさせられたわけだ。食べないと頑なに拒む政宗に、幸村が強硬手段に出たりして、結果的に伊達の怪我は悪化の一途を辿っているような気がしなくもない。が、とりあえず茸があたったという気配はなかった。
 ないが、それよりさんざん暴れたせいで肺のあたりがひっきりなしに痛んだ。
 恐ろしいまでの馬鹿力で無理やり口をこじあけられそうになって、抵抗の限りを尽くしたわけである。正直本当に政宗の怪我の心配をしているのかそれとも本当は殺そうと思っているのか理解に苦しむ。
 佐助がこの場にいれば、そんな政宗の虚ろな問いかけにも「だってこの人何事も全力だもん」と一言で切り伏せられるのだろうが。
「それがしのことなら気にせず眠ってくだされ」
 それでまだ笑顔でそんなことを言うかこの野郎、と伊達は悪態を吐こうとして、しかし失敗した。
 だいぶ体力を消耗してしまっている。
「…no thankyouだ」
「のーさ…」
「いちいち鸚鵡返しにすんな。そういう気遣いはいらねぇって言ってんだよ」
「しかし、伊達殿はだいぶ消耗されておる。眠らねば体力は戻らぬ」
「誰のせいだ…」
 思わず本心から唸るように呟くと、幸村はさらに笑顔を深めた。
 真っ直ぐな人間が浮かべる笑顔は妙に眩しい。薄暗い洞窟の中、光源は焚き火の炎だけだ。ゆらゆら揺らめいて影が岩肌にうつした。そういう状況で、しかし彼の笑顔は妙に眩しい。
「それがしを信用してくだされ。誓って寝首を掻くとかそういうことはいたしませぬゆえ」
「だからよ、とっちまえばいいんだ。なにに義理立てしてんだか…」
「伊達殿、それがしは先ほど伊達殿を信頼して、あの山菜料理を食べましたぞ」
「…いや信用するなよ。あたっちまえと思って作ったんだぞこっちは」
「伊達殿の考えはどうあれ、それがしは信頼したのでござる!ゆえに!伊達殿も!」
 力強く喧しく、そう言い張られて、もう政宗には言い返すだけの気力はなくなっていた。
 自分も相当、鍛錬は積んでいるつもりだ。少々のことではへこたれない精神力というものは持っていると自負していたのだが。
 話の通じないところも、真っ直ぐすぎて曲げてやる気にもならない彼の気質も、今の政宗にとっては毒のようなものだった。体力より精神力が奪われる。抵抗する気力がなくなる。
「……ああ、言いてぇこといっぱいあるんだけどもういい」
「大丈夫でござるか」
「寝る」
 そっけなくそう言うと、政宗はそのままゆっくり身体を横にした。動かせば動かしただけ痛みは増す。寝るといってもこれはしばらくはどうにもならないだろう。せめて痛みを散らせればいいのだが、この状況ではそれも難しい。しかし鉛のように身体は重かった。
「伊達殿」
「…oh,頼むからいきなりえらい接近してくんな」
「何か出来ることはござらんか?」
「寝ずの番でもしてろってんだ…」
「承知した。他には」
「ahー…離れてろ」
 なんでこいつこんなに近いんだよ、などと朦朧としてきた意識でそう思う。幸村がこれだけ接近していて、それでもこんなにすぐに疲労があらわれるとすると、予想以上に疲れていたのだ。常ならば、もう少し人がいなくなるのを確認してから眠りは訪れる。
 しかしそれを難しく考える前に、そして当初の予想よりも早く引きずられるように政宗は意識を手放した。

 離れていろ、と言われた幸村は政宗が意識を手放すのを瞬きもせず見つめていた。
 人が寝入る時の顔などはっきり見たことは一度もない。ああいった時の人というのは、本当に無防備になるのだな、と妙に感心した。それでも眠りに落ちる瞬間の政宗は少しばかり眉根を寄せたままだったのだが。
 それが妙に残像になって残った。
「旦那」
 その感慨にふけっていると、小さな声がして、洞窟の外から呼び出される。佐助だ。音もなく立ち上がると、幸村は静かに外へ出た。
「どうであった」
「とりあえず戻ることは出来るよ。ただやっぱり相当きついんじゃないかな」
「伊達殿か」
「状況はどうなんですか、今は寝てるの?」
「ああ、たった今な。だいぶお疲れのようだ。横になられて、二言三言、喋られてすぐに眠ってしまったぞ。佐助、人というのは寝る瞬間はずいぶん無防備なものだなぁ」
 なんだか幸せそうな幸村に、佐助は肩を竦めた。呑気なものだ。戦場だろうとなんだろうと、常にどこででもお館様と幸村の緊張感のないやり取りには馴れている。わかってはいてもやはり口に出していいたいものだ。ああ呑気すぎる。状況をわかっていない。
「そりゃあねぇ。しかしそうか、だとしたら本当にきついなぁ。怪我人に山道歩かせるのは厳しいよ。旦那、どうせだからおんぶでもしていきますか?」
「そうするか」
 あっさり頷かれて、佐助は慌てて訂正した。今回の件では、幸村の決断はいつも早い。ちゃんと考えているのかと問いたいほどだ。伊達を本陣まで送り届けるとか、おんぶして行くとか。普通もう少し悩むものではないのか。
「いやいやいや、冗談なんですけどねっ!?本気にしないでくださいよ!」
「しかし、そういう覚悟も必要であろう。出来ぬ話ではない」
「独眼竜の旦那がそういうことはさせないでしょ…」
 しかも本気だ。佐助にとっては眩暈がしそうな現実だった。
「第一、旦那の両腕がふさがってる状態ってのは勘弁してほしいね。向こうがその気になったらあっさり殺されちまうよ」
「そういうつもりなら、もうずっと前にされている気がするのだ」
「―――…なんですか、それ。どういう根拠で」
「いや、むむ…なんと言おうか、もしやそれがし先ほどの伊達殿の寝顔にほだされてしまったのだろうかッ!?」
 突如として頬を赤らめる幸村に、わけがわからないと佐助は思わず声を荒げる。
 そんなに他人が眠り込む瞬間が感動的だったとでも言うつもりか。
「知りませんよ!むしろ勘弁してください。それはともかくですね、戻る道は本当に獣道で、猪とかいるんだよ!」
「ああ、そういうことであったか!」
 話がズレていきそうだったから、どうにか軌道を修正して真実を語る。雨でぬかるんだ道に、それでもはっきりわかった。あれは猪の蹄だ。このあたりにいるということだ。人を襲ってくるかどうかはともかくとして、それに遭遇しないとは決して言い切れない。
「だからさ、そうなるとどうしても、独眼竜の旦那には自力で歩いてもらうしかないんですよ。怪我にも響くしたぶんそんなに歩けないよ。あの人大丈夫かな。駄目なら、もう少しここに」
「しかしあまり長くここにいれるものでもなかろう?」
「…まぁね。あんまり長いこと戻らないと、戦況がどうなるか」
 戦が再び始まるかもしれない。おそらく大将がいない伊達軍はいいカモだ。
 戦とはそういうものだ。弱点があればおおいにそれを利用し、有効に使うべきものだ。特に伊達軍は伊達政宗一人で持たせているようなところがある。今のうちに叩いてしまえば、上杉軍と戦うことについて難しく考える必要はなくなる。
「伊達殿が起きてこられたら、話そう」
「そうしてください。そんで旦那ももう寝てね」
「いや、それがしは寝ずの番だ」
「は?」
「伊達殿が言ったのだ」
「…なんでそう、犬みたいに言うこと聞いてるの旦那ァ…」
 その犬みたいな人の部下の自分ってじゃあなんなんだ、と佐助は頭を抱えた。


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