ハッピービパーク2



 雨が降ってきた。
 頬に当たった冷たい感触に幸村は空を仰いだ。
 先ほどの苦しそうな息遣いの伊達のことを思い出して、早く戻ろうとあちこちを駈けずりまわって探してきた山菜を手に踵を返す。
 今頃、戦場はどうなっているだろうか。ふと空を見上げた。切り立った崖の岩肌がゴツゴツと、空を切り取るようだ。
 本当にだいぶ落ちてしまったのだと知って、自分が軽傷にすぎる軽傷であることと、政宗のあばらが折れているだろうことにもう一度思い至る。それでも、この程度で済んでいるのだからあの男も相当頑丈ではないか、と思わず笑みがこぼれた。
佐助などが見たら普通死んでいると憤慨するだろう。実際そうだろうとも思う。どういう強運だろうか、これは。
「どちらの運でござろうか…」
「どっちの運とか関係ないでしょ」
 独り言に返されて、びくり、と肩を震わせて振り返れば、そこには予想以上に早い到着となった佐助が立っていた。すっかり呆れた顔をしている。彼の肩に止まった鴉が、すました顔で羽を閉じた。
「さ、佐助!よくここがわかったな!」
「ああ、もう俺本当旦那のこと見つけるの天才だよね。正直こんなに早く見つかるとは思わなかったけどね。で、旦那は一人?」
 一息にそう言うと、佐助は周囲を見渡した。いるだろうと思われた男の姿がない。これはすでに事を成した後だということか、と一瞬、本当に一瞬僅かにそう思ったのだ。
「いや、伊達政宗殿がいる」
 だから幸村のその言葉に、佐助は盛大なため息をついた。予想通りだ、とばかりのため息に幸村が首を傾げる。
「どうした?」
「いや…で、旦那はここでそんなに山菜抱えてどうしてるのかなぁと」
「ああ、伊達殿は今怪我をしておるのだ。それがしは伊達殿に何か食べさせようと…」
 政宗は怪我をしているがまだ生きている。そして何かを食べさせようと、幸村は雨の中を山菜抱えていたわけだ。これでも一応、猛将とか呼ばれる人ではあるのだ、幸村は。
 佐助の目が、どんどん冷たくなっていく。
 幸村はしかし怯まなかった。
「佐助、怒るかもしれぬが聞いてほしい。伊達殿はそれがしの下敷きになって怪我をしたのだ。おそらく深手を負っているのではないかと思う。もちろん、みしるしを頂戴するつもりだったが、それがしのせいで怪我をした者を、あの状況でどうにかする必要はないと思うのだ」
「馬鹿」
 幸村の言葉が終わると同時に佐助は思わず本音をぶつけていた。本当に、脱力を禁じえない馬鹿だ。
「なっ、おまえそれがそれがしに言うべき…」
「馬鹿だなぁー、もう矛盾だらけで困っちゃうよ。言いたいことはわかるから。合戦で、名乗りをあげてそれで、って思うんでしょう旦那は。だからこういう形ではどうにもしたくないって言うんでしょ」
「そうなのだ。それがし、本陣に伊達殿をお送りするつもりだ」
 幸村の考えることなど、長年部下として付き添ってきたのだからわかる。わかるだけに胸中複雑だ。幸村がそこまで考えない分、佐助が先回りしてたくさんのことを考える。そんな役割分担になってしまっている気がした。
「…困ったねぇ…」
「すまぬ、迷惑をかけるが…」
「でも本当に、首は獲らないんですね。怪我をしているっていうなら、絶好の機会だよ」
 こんなこと言うのも本当は嫌なのだ。平和主義者であるはずなのに、時代に染まった台詞を吐いている。
「もちろんそうだ。しかしこの件については、それがしはもう決めた」
「それでどうやって伊達の本陣まで連れていくの」
「佐助はどうやってここまで来たのだ?」
「そりゃもう鳥で」
「ああ…忍びというは実に便利な」
 肩に乗ったまま静かにしている鴉は、当然だと言わんばかりに一度ギャアと声をあげた。
「そんで言わせてもらうけど、アバラのあたりが折れているっていうなら、独眼竜の旦那は鳥を使えないよ。俺と、真田の旦那だけなら鳥を使って一日で戻れる」
「では鳥は使わぬ」
 はっきりと逡巡する間もなく、幸村は言い切った。迷いもなく楽な方法を切り捨てる。佐助は頭を掻きながらさらに口を開いた。
「そうなると、迂回するしかないんですけどね。どうにも獣道と言えるかどうかって程度の道しかないから、戻るのにどれだけかかるか…」
「戦はどうなっておる」
「伊達は本陣に引っ込んでます。まぁ、大将首が行方不明ですから無闇に動けませんよ。ウチも伊達が動いてこないってんで、お館様は静観してますよ」
「そうであったか」
「真田の旦那、独眼竜の旦那の首を獲れって言われたんでしょ。だから静観してるんですよ。お館様は、待ってるんですよ」
 待っているのだ。幸村がどんな働きをしてくるか。あの人はあの人で、たぶん幸村が死ぬということはあまり考えていないだろうし、それ以上にまさかこんなところで伊達の大将のために山菜抱えているとも思っていないだろう。知られたらどうなることかと思うとさすがにゾッとしない。
 所詮武田なので、まぁせいぜい、殴り合い程度だろうけれども。
「むぅ…」
「いいんですね」
「良い。それがしはもう決めたのだ。それでお館様にどう言われても良い」
 最後だ、と佐助はもう一度だけ問うた。幸村は相変わらず即断した。
「あーぁ、仕方ないな。じゃあ俺はちょっと道を探ってきます」
「それがし、向こうにある洞窟に戻る」
「ハイハイ、了解っと」
 頷くと、佐助は素早くその身を木の上へ転じた。
 あれは優秀か、と政宗が聞いていたが、これは予想以上だ。まさかこんなに早く佐助が来るとは思ってもいなかった幸村は、今度は濡れた土を蹴って走り出した。手には槍と、山菜がある。

「伊達殿!」
 洞窟へ戻れば、すでに火が消えていた。出る前に落ちている枝を集めて火をつけていったのだが、どうやら政宗は眠っているらしい。消えたことに気づかなかったのだろう。
「…伊達殿ー?」
 もう一度、今度は小声で呼びかける。しかし反応はない。
「だ…」
「うるせぇよ」
「なんだ起きておられたのか」
 横になったままだった政宗が、酷くゆっくりと起き上がった。かばうように腹のあたりを押さえている。やはり痛むのだろう。しかし言葉は常とかわらない。
「敵がそこまで近寄ってんのに寝てるわけねぇだろ」
「む、今はそれがし伊達殿の敵では…」
「テメェの気持ちはどうでもいいんだよ。俺の気持ちの問題だ。わかるか?」
「それは…寂しいでござる」
「勝手に寂しがってろ、おやかたさまーって叫んでろよ、飛んでくるんじゃねぇか」
「そうであれば嬉しいのだが」
 相変わらず、政宗の顔色は良くなかった。うっすら脂汗もかいているのだろう、彼のそばにいるとそういう熱が伝わってきた。あまり良くない熱だ。
 しかし手当てはさせてもらえないだろうし、今は満足に薬などもない。
 もどかしく思いながら、幸村はとりあえず、と採ってきた山菜を政宗に差し出した。山ほどあって、なかなかなぞめいた色をしている。
 さすがの政宗も、それについては口を出さずにはいられなかったようだ。
「what? なんだ、こりゃあ」
「わっ…?」
「いいから、なんなんだ?」
「山菜でござる」
 幸村の言葉に、政宗の口許がぴくりと歪んだ。
「おーおー、よくこんだけ採ってきたな。そんで茸ならなんでもいいと思ったか?」
「いやぁ、さすがにこれでも選んだのでござるよ?」
「ほーぅ、じゃあおまえ、俺がこれで料理作ってやるから毒見しろ」
「そ、それがしに料理を!?」
「いいか、そこの食べたらheavenが見れそうな茸で作ってやるからな、俺はテメェがそれでも生きてたら食べてやる!」
「伊達殿は料理が作れるのでござるか、一国の領主でありながらなんと…」
「俺に感動する前にテメェの生死を心配しやがれってんだ、Goddemn!」
「案外元気でござるな、それがし安心した!」

 とりあえず、幸村の中にはすっかり不安は消えていて、なんだかむしろ今の状況を楽しんでいる自分がいた。
佐助には悪いなぁなんて、心の片隅、たぶんほんとにちょっとだけそう思いつつ。


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