ハッピービパーク

「…無事でござるか?」
「退け、重い」
 低い声が掠れていて幸村は慌てて今の状況を把握し、その場からのけぞるように後退した。
 しかし目の前の男は立ち上がる気配はない。
「…伊達殿?」
「ちっ、駄目だなこりゃ」
「怪我を」
「絶好のチャンス、だぜ。真田幸村」
 合戦中だ。謙信と、信玄。ライバルである二人に、さらに割り込むだけの強さを持ったのが伊達政宗だった。齢19、奥州筆頭。
 幸村は信玄に命じられるままに伊達政宗の討伐に出た。
 山の中、姿を見かけた。その瞬間には攻撃に向かっていて、一進一退の攻防が繰り広げられた。それが、崖の上だったのだ。激しい剣戟をかわすうち、二人の足場がついに崩れた。
「……信玄公に言われたんだろう。俺を殺れってよ」
「………」
 四肢をだらんと伸ばしたまま、政宗は動こうとしない。肺のあたりをやられたのかもしれない。息継ぎすら辛いのが、荒い息遣いから聞こえてくる。
「それがし」
 こういう時、佐助や信玄ならどうするだろうか。
 目の前に、先ほどまで確実にその首をとろうとしていた男がいる。動けずに。
 今ならなんの危険もない。
「…まったく怪我をしていない…こともないが、伊達殿に比べて相当軽傷なのだ。ということは、伊達殿を下敷きにしたから…であろうか」
「だろうなァ。運がいい奴だぜ」
「それならば、どんな状況であれ伊達殿のみしるしをこの場で頂くことは出来ぬ」
「ハァ!?おまえ何言ってんだ」
「伊達殿、どのあたりが痛むのでござろうか」
 手を貸そうとした幸村を、伊達は思い切り拒否した。誰かの力を借りて身体を起こすなんて考えられない、とばかりに政宗はそのまま痛みをこらえながらゆっくり起き上がる。
「伊達殿」
「…んだよ」
「某、責任を持ってなんとかさせていただくゆえ!」
「は?」
「まずは無事にそれぞれの本陣へ帰らねば」
「何言ってんだおまえ」
「伊達殿は大舟に乗ったつもりで!」
「話を聞けよ!」
 叫んだ途端にイタタ、と伊達が肺のあたりをおさえて呻いた。あばらの骨が何本か折れているのかもしれない。
「なんでござろうか」
「俺とおまえは敵同士。ここまではOK?」
「おーけ…?」
「ちゃんとわかってんだろうな」
「勿論、わかっているでござるよ!」
「じゃあ助けようとしてんじゃねぇよ。遊びで天下とろうって言ってんじゃねぇんだぞ」
「それとこれとは別問題でござる!それがしは恩を仇で返す奴ではござらん!お屋形様の教えに従ったまでのこと!」
「…信玄公はそんなゆるい奴なのかよ」
「ゆるいとは何事か!お屋形様の言うことが間違っているとでも言うつもりでござるかぁぁぁぁあッ!!!!」
「うるせぇぇぇぇ!!!」
 大地を揺るがしそうな幸村の声に、政宗も負けないくらいの怒声で制した。
 叫んだ後に傷がズキズキと痛んでぐらりと地面に転がりかけるのを、幸村が支える。さすがに今回はそれを拒むことは出来なかった。
 畜生、ガッデム、と呻く政宗に幸村は心配そうだ。
「申し訳ござらん。少し興奮してしまった」
「……おまえんとこは」
「?」
「たしか忍びがいたな。あれは優秀か」
「佐助でござるか。優秀も優秀でござる!」
「忍びの名前をそんな簡単に敵大将に言う奴がいるか。まぁ、優秀なら助けは来るってことだな」
「左様!」
「…まぁ、いい」
「伊達殿。相当痛むでござるか?雨が降りそうでござる」
「動けなくても動けってんだろ。一人で歩ける」
「無茶でござるなぁ、伊達殿は」
「おまえに言われたらこの世の終わりってもんだぜ…」


「嫌な予感がするんだよねぇ」
 ぼそりと一言、本陣に帰らない幸村の行き先を考えて一人呟いたのは佐助だった。
 合戦中だ。影として動く忍びもだからこそ忙しい。幸村が伊達政宗討伐に動いたのは聞いていたが、あの男に限って逆に倒されたとは想像できなかった。
「何か、あったかな」
 佐助の部下はすでに奥州へ向かっている。政宗に何かあったとしたら、そちらの方も少なくとも動揺が伝わってくるはず。そしてその読みは正しかった。伊達の本陣も現在、政宗が帰還していない。家臣団が血眼になって探しているらしい。しかし伊達政宗不在を知られるのもまずい。主だった家臣たちは決して騒がず、ただ主君がいないのをひた隠しに隠していた。
「竜の旦那も不在、ね…」
 何かあったのだ。おそらく、二人が一騎打ちするような条件に恵まれたのだろう。
 その後何が起こったかは知らない。
「ったく真田の旦那も後先考えないんだから!」
 そんなものを考えるだけの余裕がある人だったら、今こんな風に困って頭をかく必要もないのだけれど。しかしそんなのは佐助が知る真田幸村ではないな、と思いなおしてため息をついた。


「伊達殿」
「……」
 こりゃ本格的にアバラが数本イカれてんな、と浅い息を繰り返しながら政宗は内心で舌打ちした。肺には達していないだろうが、そのせいで熱が出ている。身体がだるい。その上痛くて正直最悪な気分だった。これはあれだ、疱瘡の時以来の最悪な気分だ。
「伊達殿」
「なんだようるせぇな」
「気分が悪いのではないかと」
 幸村の静かな問いかけが、政宗の癪にさわった。いつもの猪突猛進、叫びっぱなしのテンションはどこへ消えたのか。そもそもお互いは敵だ。気にされる必要がない。
「おまえ俺のことナメてんのか?」
「は?」
「俺は伊達政宗だぞ。奥州の独眼竜だ。ナメてかかってんじゃねぇぞ」
「先ほどから息遣いが浅いのは、気のせいでござろうか」
「気のせいだ」
「顔色もあまり良くないように」
「この薄暗がりで顔色がわかるのか?」
「…では伊達殿は空腹でござるか?」
「…唐突だな」
「いや、唐突でもござらん。人は元来腹が減っては戦は出来ぬもの。それが空腹でこのようなところで行き倒れるわけにもいかぬのだから」
「ああ、なるほどね。少しは考えたわけか猪も」
「某は猪ではござらん!」
「虎のところで育った猪だよなぁ?」
「…伊達殿、もしかして怒って」
「おまえのせいでこのザマなんだぜぇ…?普通、怒るよな。何か申し開きがあるか猪」
「むむぅ…!た、たしかにそれがしのせいではあるかもしれませぬが」
「アホか」
「は」
「いちいち気に病むな。俺とおまえは命のとりあいしてんだ。俺がおまえのせいで怪我しようが命を落とそうが当然ってもんだろ」
「それは、そうなのでござるが」
「人の顔色うかがってる場合じゃねぇ。おまえはさっさと俺の首とっておまえの大好きな虎んとこへ戻れ。まぁ、ただでとられるような首じゃあねぇが」
「今はとれませぬ。さっき申し上げたとおり!」
「聞いたけどよ。…おまえ、本当にそれはただの馬鹿がすることだぜ」
「ならば馬鹿でも阿呆でも好きなように呼べばよい。それがし、伊達殿がどう言おうが今は決めたとおりに動くまで」
「ああそうかい。じゃあさっさと食べれるもんでも探してこい。それまで帰ってくんな」
「承知!」
 颯爽と立ち上がった幸村が、武器の槍を一つだけ持って出ていった。姿が見えなくなったのを確認して、政宗はずるずると岩肌にもたれて深いため息をひとつ。今まで我慢していた痛みを解放すると、眉根を寄せた。
 ああ、あいつ馬鹿だけど馬鹿じゃねぇ。
 顔色が悪いのも、息遣いが浅いのにも気づいている。深手を負っていると知られている。


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