慶次と小十郎 3




 伊達軍が豊臣にお礼参りという名の戦を仕掛けるという噂が聞こえてくるようになったのは、長谷堂城で兼続が頑張った後すぐだった。
 伊達政宗にギッタギタにやられたところは痛むし、おまけに思い出したくもないような奴のことを聞きだされて、連鎖的に思い出すあの人のこと。
 それらのせいで慶次はすっかりやさぐれて酒を片手に管を巻いていた。
 慶次が気落ちしているのがわかるのか、上杉軍の誰も近寄ろうとしてこない。そもそも伊達軍の襲来にあって、一番の被害者は何の関係もなかった上杉軍である。運が悪い、と慶次は半ば自棄気味にそう思って、盃を煽ろうとした。
 その瞬間、音もなくその盃がぴたりと止まった。
「おやおや、けいじ。さけにしつれいですよ。いまはおやめなさい」
 麗しいほど麗しい声でそっと囁いてきたのは、軍神、上杉謙信である。今の今まで気配など感じなかったというのに、現れた途端に存在感のあるその人は、相変わらずの性別不詳ぶりだった。
 優雅な手つきでまずは慶次の手から、朱塗りの盃を奪うとなみなみ注がれた酒を見て微笑む。
「謙信かぁ。かすがちゃんは?」
「うつくしきつるぎならば、いまはつかいにだしていますよ」
「なんだ、いないのかー残念」
 何故ここに謙信がいるのだろうと思ったが、考えてみれば長谷堂城の兼続たちの様子を見にきたのかもしれない。ほとんど言いがかり的な戦だったのだ。
「あのさぁ、謙信…」
「ああ、これはよいさけですね」
「…ああ、うん。兼続がいい酒が手に入ったって言ってたよ。そういえば」
「じつによい。ところでけいじ。こたびはよくやってくれましたね」
「あー…いや、俺が、ここにいたからなんだけど…」
「よいのですよ」
「いやいやぁ、良くない良くない!」
「よいのです。けいじ、おまえをさしだすようなことを、だれもしなかった。それでよい」
「……あ、そうそう、うん。兼続が頑張ってたよ。すぐやられちゃったけどさ」
「けいじ」
「……」
「まよいがあるならば、おのがてで、たちきりなさい。おまえはあたまのよいこ、きっとどうすればよいか、わかっているはず。そうですね?」
 謙信の色素の薄い澄んだ瞳に見据えられて、慶次はしばらく押し黙った。
 そうだ。わかっている。決着を、つけなきゃ。
「あ、そうだ。今度うまいごぼうとか持ってくるよ」
「おや」
「美味いのを、作る奴がいるんだよ」
「それはたのしみですね。けいじ、またきなさい。いつでもかんげいしますよ」
「…うん。ありがとな」
 勢いをつけて立ち上がれば、夢吉が小さく鳴いて姿を見せた。
 夢吉にまで気を遣わせていたのかと思うと自分が情けない。
 引きずってなどいないつもりだったのに、まるっきり引きずっていて情けなかった。
 兼続があそこまで漢気を見せたのならば、こちらもこちらで今まで引きずってきたことを、全部。
 ちゃんと、けじめをつけなきゃならない。
 慶次はひとつ大きく深呼吸をした。今までずっと、目を逸らしてきたことだ。ちゃんと立ち向かえるだろうか。
 でも、そうしないと、謙信にも、兼続にも、あわせる顔がない。
 もう一度深呼吸を繰り返して、ゆっくりと歩み出した。
 向かうは、大阪城。



 大阪城の周囲を取り囲んだ伊達軍は、攻め時をうかがってしばし時を待つことになった。
「傷の具合はどうだ、小十郎」
「問題ありません」
「Okay,しばらくしたら、攻めるぜ」
「はっ」
 前田慶次と上杉軍をぶっ叩いて手にした情報は、竹中半兵衛が豊臣の軍師であること、それだけだ。ひとつの情報を手に入れるためだけに、軍を動かすのは決して良策とは言えなかったが、それだけ伊達政宗が怒り心頭であることをあらわしている。
 小十郎はふと視線を感じた気がして周囲をなにげないふりをして振り返った。あちこちで兵士たちが座り込み、号令を待っている。伊達軍の基調は青だ。その中、違う色が混ざって見えた。
「―――…」
 何をやってやがる、と舌打ちついでに小十郎はいたって平時と変わらぬ無表情で歩み寄る。幾人かは小十郎に声をかけていったが、それを無視して小十郎は兵が待機するより少し離れた木に隠れている男の前に立った。
「ははは、奇遇」
 わざとらしい笑みを浮かべてそう言ったのは、前田慶次。目立つ容姿でそんなところにいたら、気づかぬわけがない。
「あぁ、奇遇だな。何しにきやがった」
「何これ、みんなして気合入ってるなぁ。お礼参り?」
「テメェには関係がねぇな」
「なくはないだろ?俺は喧嘩好きだけど、無関係の奴巻き込むのは好きじゃないんだよな」
 その時は怪我で小十郎はいなかった。当たり前だ。小十郎を狙った相手(本当は伊達政宗本人を狙ったのだが)の所在を明らかにするだけの戦だったのだ。
「ここに現れたのはどういうつもりだ、前田」
「俺は俺で、決着つけに来ただけだよ」
「何?」
「俺には俺で、あるんだよ」
 そう言った慶次は俯いたきり顔を上げない。政宗が今最も熱を上げて挑んでいる真田幸村よりも能天気で乱世など関係なさそうなこの男が、そんな風に顔を上げないのは珍しいことだった。
「…テメェにどんな因縁があるのかは、知らん」
 思えば本当に最近、顔をあわせただけだ。顔をあわせるなりごぼうの話で勝手に盛り上がり、勝手にキレて、今ここにいる。
 小十郎にはよくわからない男だった。それでも、目立つ着物に目立つ形をしていて、ずいぶん威勢のいい奴だとは思った。
「が、俺たちが今からやらかすのは戦だ。テメェが乱入する余地はどこにもない」
 だからここから退け、という小十郎に、慶次は小首をかしげ、肩を竦めてみせた。小十郎に向けられた視線が逸れて、大阪城を見上げている。
「俺さ」
「?」
「あんたの作ったごぼう、ほんと大好きだよ」
 笑った慶次の顔が寂しい。
「…おい?」
「また食べたかった!」
 何を、と手を伸ばしかけた小十郎の目の前で、突然季節外れの桜吹雪が待った。それに視界を奪われて、気がつけば慶次は姿を消している。
 ただ、桜の花弁が舞う先にそびえるもの、それを見上げて、小十郎は舌打ちする。
 どんな因縁があるか知らない。知る気もないが、それでもあの目だけは気になった。
「政宗様!」
「どうしたァ小十郎」
「急ぎましょう。前田慶次が単騎、大阪城へ向かっています」
「Oh、どういうこった!」
「テメェら、いくぞ、支度をしろ!ついていけねぇ奴は伊達を名乗るんじゃねぇぞ!」

―――あんたの作ったごぼう、ほんと大好きだよ

 慌しく動き出した伊達軍の様子を、鋭く睨みながら、小十郎は舌打ちした。
 死ぬ気なんじゃないかと思うと、妙に気が急いた。
 桜の花が、目に焼きついて離れない。
 なんであんな目をしていたのか。なんであんなこと言い出したのか。
(畜生、わけのわからねぇ野郎だ…!)
 向かうは大阪城、狙うは竹中半兵衛、そして豊臣秀吉。
 政宗を狙った、その報いを受けてもらわなければならない。他の誰にも、その機会は奪わせない。
 小十郎の世界に、それ以上の理由など、ない。
 ないのだけれど。
 あんな風に言う奴ははじめてで、小十郎にはよくわからない感覚がまとわりついていた。



なんかだらだら続きそうですよ…。

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