してやられた、と不機嫌な政宗はそのまま上田に行くと騒ぎ出して家臣たちを慌てさせた。 結局のところお礼参りは失敗に終わった。政宗としては最初の一撃は必ず自分がお見舞いすると決めていたのだ。それを、前田慶次にやられてしまったことは、彼にとっては相当の屈辱だ。 上田に行くことでその鬱憤を発散しようと言うのだろう。 が、それはそれで上田にいる真田にも迷惑な話だ。特にあの口数の多い忍びの勘弁してくれよォ!という絶叫が聞いてもいないのに聞こえるような気がする。 どうせなら前田慶次にその憂さを晴らせばいいのだが、政宗はそうしなかった。 政宗と大阪城の天守へ駆け上った者ならば誰も、何故とは問わない。 あの目を見たら、あの絶叫を聞いたら、誰も何も言えない。 だから小十郎も、政宗の無茶苦茶な言い分に、異を唱えなかった。 ―――天守閣に一足先にたどり着いていた慶次は、豊臣秀吉と対峙していた。双方ともに深く傷を負っている。 伊達軍は伊達政宗を先頭に、ようやくたどり着いた時にはもう勝敗は決していたと言っていい。 「どうしてだ!!どうしてねねを殺した!!どうして好きな奴をおまえが、おまえが殺さないといけないんだよ!!」 悲痛な声だった。何か大切なものを失った人間の声だ。悲しすぎて、聞いている者の答えを全て奪うような声だ。 対する豊臣秀吉の声は低く、そして感情を全て消し去ったような声音だった。 「天下の為に、愛など捨てた」 「なんでだよ!!おまえの獲った天下に、なんでねねが必要ねぇんだ!!一番、一番必要だろ!?」 その声を聞いていて、小十郎も政宗も言葉にせずともわかった。 慶次が好きだった相手が誰なのか。そしてその感情がまだ、終わりきっていないことも。気持ちの整理など何もついていない。失われたままぽっかりと、彼の中には穴がある。 慶次には伊達軍の誰一人として目に入っていないようだった。 彼らの間には、何か深い因縁があるのだろう。 (こいつは…) 小十郎は慶次の後ろ姿を眺め、考える。明るい色の着物を纏って、いかにも明るい様子で笑って、いかにも深いことなど考えていないただの前田家の風来坊。 しかし実際はあんな目で誰かを睨むし、あんな悲痛な声を上げる。 そして全身で、どうしてわかってくれないんだ、と射るような叫びを上げる。 そうして、結局伊達軍はどうしよもなくただ立ち尽くしていた。 気がつけば身動きができないまま、勝敗は決した。ただ、慶次の敵は竹中半兵衛と豊臣秀吉の二人であり、それ以外などどうでもいい相手だったから、他の瑣末などは全て伊達軍に押し付けて。 慶次はただただ半兵衛と、秀吉を殴り飛ばしたかっただけだ。痛めつけはしたが命は奪っていない。 そんな状態で彼らを放り出して、慶次は天守閣から駆け下りた。 「おいッ!」 小十郎がその背に声をかけた。が、慶次は振り返らない。 「小十郎」 「はっ」 政宗に呼ばれて、小十郎はすぐに意識を切り替えた。所詮呼びとめてみたところでかける言葉などない。ならば声をかける必要もない。目の前には敵の大将が転がっている。したたかに壁に叩きつけられて、あの程度で気絶などするものなのかと思ったが、大男でも多少の不覚はあるらしい。 そうだ。やることはたくさんある。 慶次に声をかけたところで、出来ることなどない。 「最低な結果だな」 政宗は隣で酷く不機嫌だ。それもそのはずだ。政宗の考えることなど幼い頃から知っているのだから、よくわかる。 「ナメられたもんだぜ」 「…政宗様」 「よくよくナメられたもんだぜ。これは誰の戦だ?伊達の戦だろう。それをあいつは横からかっ攫いやがった」 「………」 しかし不機嫌なりに政宗の芯の部分は落ち着いているように思えた。 先ほどの慶次の絶叫を聞いたからか。 あの苦痛を政宗が知っているからか。 「…煮えきらねぇ」 苛立ちを隠さず、しかしどこかで理性が待ったをかけている。そういう状態の政宗に、小十郎はこたえた。 「ならば、あの男を連れてまいりますか」 「…oh,そいつぁいい案だな。が、却下だ。ここでの面倒事を片付けたら上田に行くぜ」 「政宗様」 「Shut
up! こういう時はなァ、あの男に火ぃつけてやりあうのが一番いい」 「しかし政宗様。それでは向こうが困ります。我が軍も」 「なら俺のこの煮えきらねぇ気持ちはどこへ持っていきゃいいんだ?」 耐えろ、とは小十郎には言えなかった。 さりとて上田に攻め込むというのも駄目だ。実質戦などしてはいないが、移動にかかる消耗を政宗が計算できていないわけではないだろう。 「政宗様、」 「……」 「あの男を連れてまいります。お好きになさればよい」 「煮えきらねぇな」 政宗の言いたいことはわかる。たしかに慶次一人を引き連れて、さあお好きにと言われても政宗の性格ではそういう場でこそ冷める。結局煮えきらない。 わかってはいるが。 (こだわっている) 何故だ、と思ったが引けなかった。 「まぁ、いいぜ。連れてこいよ」 「…政宗様?」 「小十郎、オマエがそうしたいんだろ?俺はこの大阪城でしばらく待つ。ただし十日だ。それまでに連れてこれなかったらoutだ。俺ァ一人で上田に行く」 「…承知いたしました。しかし政宗様、けして無理はなさるな」 「今のテメェに言われたくねぇなぁ!」 笑った政宗に、小十郎は安堵した。 十日。その間に走り去った慶次を追い、見つけ出して政宗の前に連れ出す。 その後に政宗がどうしようとするかは大概予想がつく。 どちらにせよ上田に行くと言い出すだろう。だが、十日も経てば勢いも殺がれる。今よりもっとずっと冷静になれる。それだけの時間がある。 「必ず連れて戻ります。政宗様、くれぐれも」 「しつけぇ。さっさといきな」 ひらひらと追い払うように手を振る政宗に苦笑して、小十郎は背を向けた。 背後で成実の声が聞こえる。筆頭ォー、と明るく話しかけている。 いつもならあの中にいる。一歩ひいたところででも、彼の背を守る為に。 (…引き連れてかねぇと、筋道がたたねぇ) こだわっている。わかっている。理由は?それはわからない。 わからないのに、進んでいる。 こういうのは、たとえばあの赤い奴に似合うと思う。自分にそれは似合わない。 わかっているのに、進んでいる。
とりあえず。そうだとりあえず、あの男を、慶次を殴ってやらなければ。 そうでなければ、気が済まない。
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