よう、と軽い挨拶をすれば、兼続が駆け寄ってきた。 「慶次!」 奥州で小十郎とちょっとした諍い(と、慶次は思っている)をした後、その足で長谷堂城に訪れた慶次は、兼続の歓迎ぶりに思わずほろりと涙が出そうになった。奥州では全くもって歓迎されていない雰囲気だったのでこうも反応が違うと新鮮だ。 「よう兼続、少しは強くなったか?」 「ど、どうだろう。毎日素振りなどはしているのだが」 「うんうん。じゃあきっと強くなったな!」 「そう思うか!?」 「努力はいつか報われるもんだ!」 「そ、そうなのか。それはいいことを聞いた。俺はこれからもがんばるぞ」 兼続は何でか知らないが腕っぷしが強い人物に憧れがあるらしい。その為には日々精進と鍛錬に励んでいるようだが、まぁ基本の姿勢があまりよろしくない、とは思っても口にしなかった。兼続はこんな風でいいんじゃないかな、とも思う。謙信もそう言っているし。 「そうだ、いい酒を仕入れた。呑むか?」 「おお、いいのかい!?」 「酒を好く人物に呑んでもらった方が、酒も嬉しかろう」 まだ日も高かったが、上杉軍において酒宴の時間というのは不規則だ。なにせ謙信が自ら酒を水のように呑む人だ。慶次も相当強い自信があるが、謙信はさらにその上を行く。 そんなわけで、日の高さなどまるで無視して、にわかに酒盛りとなり、それから一刻ほど経った頃だった。 まだ日も高い。しかもまだ酒もたいして酌み交わしていない。そんな時。「だっだ、だだだ伊達軍が…!!」 ざわり、と慶次の心がざわついた。 まさか、右目が来たのか。そう思ってしかしありえないと己を押しとどめた。違う。笑うのにも辛そうにしてみせたあの男がいるはずがない。だとしたら、伊達政宗本人か。 「な、ななな何ィ!!」 隣で兼続が慌てている。謙信は春日山にいる。長谷堂城にはいない。ここはさほど兵が多いわけでもない。普段はどちらかというと戦国であることを忘れるほど穏やかなところだ。 「ど、どどどどどうすればいい慶次ぃぃぃ!!」 アンタじゃなきゃ教えてやんないよって言ったのにな。 「兼続、おまえは最強だろ?」 「そ、そそそそんなわけがない。あ、あの伊達軍だぞ、あの恐い奴らばっかりの!」 「だって毎日素振りしてたんだろォ!?だぁーいじょうぶ、おまえは無敵だ!」 「そ、そんなわけが!」 「自分を信じろ!努力はいつか報われるんだぜ!!」 「ああ、あああ、そ、そうだろうかそうなのだろうか。お、俺は無敵なのだろうか慶次ぃぃぃ」 「俺が保証してやるって!」 「お、俺はむて、無敵…!!」 へっぴり腰ではあるが、謙信不在のこの土地で兼続が立ち上がったことはなかなか見所がある、と慶次はなんだか嬉しそうに兼続を見た。 しかしそれも一瞬で、すぐに慶次も立ち上がる。 「…ったく、強引なのは嫌われるぜ?」 誰にともなく呟いた。それなりに大きな声だったが、兼続の耳には入らなかったらしい。脳裏に浮かんだ、渋い男の顔を思い出す。 アンタじゃないと教えないって言ったはずだ。教えてやるつもりなんか、ない。
「ずいぶんと、梃子摺らせてくれるじゃねぇか」 「だっから言ってるだろ!?教えてやる気はねぇってな!」 伊達政宗の青白い闘気にびりびりと当てられながら、慶次はいたってゆるゆるだった。すでに手傷もいくつか負っているが、それは政宗も同じである。 たとえば伊達政宗をこの場で倒したりしたら、あの男はここまで来るのかな、と思う。 (くるだろうなぁ…) 容易に想像が出来た。そして手がつけられないほど怒り狂っているのも想像できた。しかし、世の中幼い頃からの刷り込みは手ごわいもので。 (まぁ、まつねぇちゃんほど恐くねぇか) なんてあっさりオチがつく。 ちらりと辺りをうかがった。上杉の兵士はほとんど撤退できたようだ。 時間稼ぎさえ出来ればそれでいいし、どうせだからちょっと戦って憂さ晴らしもしたかったところだ。丁度いい。 「テメェに裂いてる時間はねぇんだよ。You
see?」 「勇姿だかなんだか知らねぇが、だったらさっさとここから出ていきなよ兄さん!」 政宗の六爪が眼前を掠めた。ちょっと油断しすぎた、と慌てて身をよじって転がった。そこへさらに、追い込むように政宗が飛び込んできた。力任せに、刀が慶次の喉元を突き刺そうと伸びる。 「…っわぁっと!!」 慌てて横へ転がって事なきを得た。 「あっぶね!あっぶねー!」 「なんでそんなに頑なになってんだ、前田ァ」 「性分なだけだよ」 「Non、素直になりな。普通に考えればテメェはまずさっさとあの野郎のことを吐いちまえばよかったはずだぜ」 政宗の言う通りだった。 唐突な伊達軍の侵攻。先頭に立つ伊達政宗は、長谷堂城を取り囲み、空気が痺れ震動するような声で言い放った。 ―――慶次が竹中半兵衛の情報さえ報せればそれだけだ、と。 しかしその時すでに、兼続は大量の酒を、それこそ謙信のように飲み干していた。景気付けなのだろうが、酒は後が恐いぞ、と思ったがやる気なようだ。あの雷のような闘気を纏わせている男と、戦おうという兼続に心底恐れ入ったものだ。 だから今も、兼続が負けて、彼を背負いながら撤退していく上杉の兵士が見えなくなると、慶次はにやりと笑った。 「…あんたの右目にさ、言ったはずなんだけどさ」 小十郎にしか、教えない。それは曲げるつもりはない。 「Oh,小十郎に教えるってやつか?好きにしやがれ。だがな、俺はテメェから聞き出すぜ」 両者はしばし睨み合いとなった。陽はだいぶ西に傾き、周囲はすでに茜色に染め上がっている。それまではお互いが饒舌なほどだったが、無言で互いの隙をうかがっていた。
「だぁーいじょうぶか、兼続」 ううう、と力ない返事が聞こえた。とりあえずの無事を確認して、慶次はどっかりとその隣に腰を落ち着かせる。その慶次も、あちこちから出血していて、すっかりぼろぼろだ。結局あの後、勝負は伊達政宗が勝ちをもぎとっていった。あんなのは反則だ、と思う。 ―――恋をしてるかい、アンタ! 何かの拍子でほとんど口癖になっている言葉がぽろりと出た。 それどころではないが、気が昂ぶるとそういう言葉が特に出やすくなる。反応は人それぞれで、面白いほど慌てる奴もいるし、いけしゃあしゃあと返してくる奴もいる。伊達政宗はまさに後者だった。 ―――アンタにそっくりそのまま返すぜ、前田慶次 俺のことはいいんだよ、と朱槍を振り回して間合いを稼ぐ。 が、この時の政宗は妙に執拗だった。 ―――アンタは、そういう相手はいねぇのか? その瞬間に、笑われたような気がした。いないんだったらおまえにそれを言う資格はねぇよ、とでも言いたげなその笑顔に、ムキになって槍をもう一度振り上げた。 しかしその一瞬、足音もなくすいっと向こうが間合いを詰めてきた。慌ててこちらが後退さる。 ―――だっから、俺は…! 昔そういう人がいて、その人と過ごした短かったけれど楽しかった日々のことを思うとやっぱ恋はいいなって思うし、その上で、まつねえちゃんとトシを見てると幸せでいいなぁって思うし、だから他人にも恋をしろよって言うんだけど。 そんな説明を今この場でしている余裕は全然ないので、慶次は舌打ちしなから猛烈な攻撃を避けた。 もちろん、そんなことをこの強引男に説明する気もないのだけれども。 ―――誰かいねぇのかァ、そいつといると昂ぶっちまうような相手がよ! そんなことをぐだぐだ考えていたからだろうか。その怒声に思わず動きが止まった。あ、と思った瞬間に物凄い衝撃が全身をぶち壊すくらいの勢いで襲い掛かってきて、攻撃をもろに受けていることを悟った。 が、その瞬間。
ぱっと脳裏にたくさんの人間が浮かんでは消えていった。 秀吉のでかい手が、ねねの首を掴んでいた。半兵衛はそれを黙って見ていて、声を限りになんでだって叫んでも答えは返ってこなくて、前田家に戻れば二人が怖いくらい優しくて、トシがとってきたぞって言ってカジキマグロとかうまいごぼうとか差し出してきて、それから、それから―――
(あ、れ?) そして今、すっかりやられて上杉の人間に傷を見てもらっている。 (あー…) 駄目だ。 (ごぼう食べたい。きんぴらごぼう) そうしたら、少しは元気が出そうな気がする。
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