「竜の右目?」
慶次が奥州に暢気そのものな様子で辿りついた時、領内はずいぶん緊張していて、おおなんだいなんだい戦かい?と不謹慎にも心がざわついた。 噂話を総括すれば、上田で真田幸村と一騎打ちしていた(どうしてそんなことしてたのかは知らないが、とにかくしょっちゅうある事なのだと皆言っていたので日常的な話らしい)際に、邪魔が入ったらしい。 邪魔者は伊達政宗の暗殺を企てて、その刃の切っ先を彼の喉元へ突き立てようとした。 が、その危険を、片倉小十郎が防いだ。 その話に慶次は思わずヒュウ、と口笛を吹いた。 殿に尽くす忠義というのはよく見かけるが、その一瞬に身体が動き、自らを犠牲に出来る奴というのは案外少ない。 だからそういう話を聞いた時、いい部下を持ってんだな、と思ったのだ。 だからあんな美味いごぼうを作るような奴がここにはいるわけだ。 そういえばまつ姉ちゃんやトシから名前を聞いていたような気がするが、ごぼうのあまりの美味さにすっかり意識を奪われていたので記憶が曖昧だ。 いつもなら美味い食べ物を作る相手の名前を忘れたりはしないのだが、どうにもその前後に食べた南蛮野菜のせいで、あのあたりの記憶が本当に曖昧なのだった。だからこうして出向いている。 「…で、敵討ちってわけかい?」 「まぁそういうこった。筆頭も相当キてるって話だぜ」 「ふーん…」 じゃあ会うのは無理かもなぁ、なんて思いながらとりあえず城へ向かう。 当然前田家の、なんて言ったらさらに敵意むき出しで追い返されそうになり、ごぼうごぼうと連呼して、少し前に前田夫婦がごぼうを貰いに来たことを思い出したらしい奴に、その場をとりなしてもらえた。 道すがら、なんであの人半裸なんだ?とかいろいろ聞かれたが、そんなもん本人に聞いてよ、と投げやりに答えた。 なんたってごぼうである。ごぼう作りの名人とうまくすれば会える。 どんな人かなとわくわくしながら通された広間で待っていると、まず最初に現れたのは独眼の男だった。もう広間の前の廊下を歩く足音から不快感の塊みたいで、慶次はこりゃ会うのは無理かな、とちょっと悲観する。 スパン、と勢いよく開いた襖。 「Hey,前田のHappyな野郎か?とばっちりを食らいたくないなら帰んな」 「はっぴー?」 「頭が幸せって意味だ」 「ああ、って、それはトシのことだろ!俺は違うぞ」 「なんでもいい。さっさと帰れ」 「いや、俺ごぼうの人に挨拶に来たんだよね。ほらトシとまつ姉ちゃんが」 「…なら余計帰んな」 「なんで!」 「それどころじゃねぇからだ」 そう言った政宗の横顔は本当に不機嫌そのものといった様子で、まぁ仕方ないのかな、とも思う。なんせ「竜の右目」だ。なくしたところを補って世界を見る、そういう相手なんだろう。 ぼんやりそう思っていると、ふと気配を感じた。振り返ればまた向こうから誰かがやってくる。 「……」 その動きに政宗の目つきが剣呑になる。 「何してる、小十郎」 「…ごぼうと聞こえましたので」 広間にあがった小十郎は、怪我をした肩を庇いつつ慶次の前に座った。「…え?」 この話の展開上、これを確認するのはよっぽど間抜けだが、だがしかし。 「え…アンタが竜の右目でごぼうの人?」 顔にある傷が、修羅場をかいくぐってきたことをなんとなく想像させた。が、慶次にとって傷といったら利家だ。あの生傷の多い人を見慣れているので、小十郎の顔の傷を見てもまず怯むわけがなかった。 いやそれよりもずいぶん渋い人がごぼう作ってんだな、とそれが気になったりして。 「片倉小十郎だ。…ごぼうは食べたのか」 「あ、ああ!うまかったよ!すっげぇ美味しかったんだけどさ、実はその前後に食べた南蛮野菜がすっげぇヤバい味で、俺もトシも意識ふっ飛ばしちゃってアンタの名前覚えてなくてさ、だから」 もう一度食べてみたくて来ました!とか、名前覚えてなかったから会って確認しにきました!とか、まぁ適当に話しまくっていると、そのうち政宗が大仰なため息まじりに広間を後にした。機嫌を損ねたな、と思ったがそんなことよりごぼうである。 「悪いが今、こういう状態なんでな。ごぼうがほしいなら分けてやってもいいが」 「え、ほんとに?いいのか?」 「持っていけ」 「そ、そっか。ありがとうな!いやぁ断られるかと思ったぜ」 「断る理由がねぇだろう」 「うーんそうなんだけどさぁ…」 それからしばらくはどれだけあのごぼうが美味かったかという話に終始した。小十郎もごぼうが褒められるのは悪い気がしないらしい。仏頂面ではあれど、時折笑った。しかし負傷したという肩の傷は思った以上に深かったらしい。痛みに一瞬顔を引き攣らせているのを、慶次は見逃さなかった。 痛いのかい?と聞けば、畑仕事はおろか、政宗様の助けも出来んと呟くその仏頂面の横顔を、慶次はぼんやり眺めてぼそりと呟いた。 「アンタさぁ…」 「なんだ」 「いや、竜の右目なんて呼ばれててうれしいのかなってね」 「当然だ」 「だってそれ、アンタのことだけどアンタだけの名前じゃないだろ?伊達政宗あってのアンタであって、それ抜きにした時アンタはどう呼ばれるんだ?せっかくあんな美味いごぼう作れるのにさぁ!」 「意味がわからんぞ、前田」 「いや、だからさ。アンタはアンタ一人でも格好いいのにアンタ一人だけに対する通り名ってのあってもいいんじゃねぇの?とか思うんだよねぇってさ」 「…政宗様あっての俺だ。政宗様がいなかったとして、どうして俺の名が轟く?」 「……アンタ」 ずい、と慶次がにじり寄ってきた。慶次の目はまっすぐ小十郎をにらんでいる。 「竜の右目なんていうから、さぞでっかい奴だと思ってたけど、がっかりだよ」 そう言うと、慶次は立ち上がった。 納得のいかないという顔だ。小十郎は僅かに眉間の皺を増して慶次を見ている。 「テメェ、何が言いたい」 「そんなんだから半兵衛にやられちまうんだよ!」 「! 待て、テメェあの男を知ってんのか!」 「知ってるがどうした!追いかけられるもんなら追いかけてみな、その身体でな!アンタでないと教えてやんねえよ!」 思わずといった様子で立ち上がりかけた小十郎は、小さく呻いて肩を押さえた。まだ完治していない傷が痛むのだろう。慶次はそんな小十郎をちらりと見ただけで、そのまま庭へ出て、屋敷を出ていった。 「…クソ、なんだあの小僧…!」 小十郎が歯噛みする。しかし慶次が戻ってくる気配もなかった。追いかけて、あの男のことを吐かせなくては。 ずんずんととにかく続く道を歩いて歩いて歩いて歩いて、気がつけばだいぶ城からは離れていた。追いかけてくる気配はない。 (あ) ふと思い出して、それから頭をかいた。 (ごぼう忘れた) ちっくしょう、と呟いて、慶次は次の行き先を長谷堂城に定めた。たぶん兼続がいるだろうから、彼の話を聞きながら酒でも飲もう。 兼続は強くなったかな、とありえない事を考えつつ、しかし思うのは竜の右目、小十郎のことだ。 (ちぇ) あんなに美味いごぼうが作れて、守るべき主がいて。 それで右目と呼ばれるだけでいいなんて、なんとなく許せない。 もっといろんなとこ見てみろよ、と。 (誰に似てんだっけな…) 前にも似たようなことを言ったような気がする。しかし一瞬浮かんだのは、細い身体の冷たい目をした男で、慶次は思わず立ち止まった。 (…別に、関係ないけど、な)
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