はなびらひとつ(けいこじゅ)



「あっけましておめでとう、小十郎サン!」
 酒を持ってやってきた慶次はどうやらすでに米沢の謙信のもとでしこたま酒をくらった後のようだった。
 それを出迎えた小十郎の表情はそれはそれは厳しいものだ。
「テメェ、呑んでやがるな」
「うん。へへ、謙信がいい酒くれてさ〜」
へらへら笑いながら、慶次は小十郎に酒を手渡すと、そのままごろりとその場に転がった。
「そんなところで寝てんじゃねぇ」
「どこならいい〜?」
 しかしそうは言っている慶次は、今にも眠りに落ちそうな状態である。小十郎が寝かせるものかと声を荒げようとした時だった。

 ふわり、と感じる気配。

「……?」
 なんだ?と周囲を見渡しても何の気配もない。
 その隙に、慶次は寝息をたてはじめてしまった。そしてふと気がつく。
(…こいつ)
 慶次の髪に、はなびらがひとつ。
 季節外れもいいところの、薄紅色のそれは、これから来る春のさきがけのようで、小十郎はしばし悩んだがそっとそれに手を伸ばした。
 指先で拾い上げたそれは不思議な手触りだ。春にしか感じられないはずのものが、この手の中にある感覚もまた不思議なもので。
 はなびらを眺め、それから小十郎は慶次を見た。
 小十郎の都合などどうでもいいと言わんばかりの潔い眠りっぷりに、しょうがねぇな、とため息を一つ。
 どうにもこの男に強く出れないのは、こうやって春の感覚を思い出させるからかもしれない。



試してみたい(さなだて)



 
ある日、政宗が上田へ戻る幸村に持たせたそれは、笹の葉に包まれてなお綺麗に飾られた料理だった。
 勿体無くて食べられぬ!と言った幸村の表情は真剣だったと覚えている。
 しかし食べ物に真摯な人間であると思っていたから、jokeも大概にしろよと笑ったものだった。
 …が。
「Hey,それでなんだと?」
「あまりに綺麗に細工されていたので…その…」
「はっきりしろ」
「……食べられずに、黴が」
 そう言った幸村は、今にも消え入りそうなほどにしょげかえっている。
 むしろそんな気分になりたいのはこっちだ、と思ったが、そうもがっかりされては政宗は何だかそれ以上どうこう言う気も失せてしまう。どうせだったらもっと悪びれずにいてくれればいいものを。
「…ありゃ渾身の出来栄えだったんだがな」
「も、申し訳ない…!!」
 政宗の作ったのは、およそ武田軍の武将が持ち歩くには不向きなほどの綺麗な料理だった。
 持って帰れるようにしてある、と言って渡したそれも、幸村が気を遣わねばすぐ壊れてしまうような繊細なもので、幸村自身もそれはそれは大切そうに抱えて持って帰った。
 ほとんど嫌がらせのようなその土産は、政宗のちょっとした意地悪だった。
 別に構わないのだけれども、いつだって幸村はお館様!お館様!とそればかりだ。
 信玄と政宗は立つ位置が違って、それぞれがそれぞれの重みを持っていて違う存在なのだという、それはわかる。
 わかるが、あえてそれを試してみたかった。
 口に出すのは女々しいので、何も言わずにそれを持たせてみた。
 幸村はそれはそれは困惑して、しかし大事そうに抱えていった。
 まさかそれを食べないで黴を生やすとは思わなかったけれども。
「…その…あの、政宗殿の手料理は少しでも加減を間違えたら崩れてしまうのではないかと思うとどうにも…政宗殿のようだ、と」
「…why?」
「理由などわからぬが、一度そう思ったらもうあれが政宗殿のようで、ずっと眺めていたくなって…その、気がついたら黴が」
「………とんだ勘違いもあったもんだぜ」
「…そ、そうだろうか…」
 困惑気味の幸村そっちのけで、政宗は掌に汗を感じて苦く笑った。
 馬鹿だ馬鹿だと思っていると、時々とんでもない返り討ちに遭う。
 しょげかえってうつむいている幸村をじっと見つめて、それから自分の頬が、ややほてっているのを感じる。
 嬉しい?違う。

 …恥ずかしい。

 政宗は顔を赤くして視線を逸らした。
 幸村はしょげたまま俯いている。
 それぞれ、うつむいたり顔を赤くしたり、そうやってしばらくの間互いの表情を知らないまま。
 小十郎がずいぶん大人しい二人の部屋を訝しんで入るまで、その微妙な空気は続いた。
 互いに思っていたのは一つ。

(なんでこんなに、好きなのか)

 そればかりだった。




後悔する(さなだて)



 その日、奥州の空に未確認飛行物体が!なんて噂がたった。
 その未確認飛行物体は、甲斐のところからお館様の拳に吹っ飛ばされて、遥か奥州、小十郎の畑の上に落下した真田幸村だったのだが。
「Hey,小十郎。そろそろ許してやんな」
 その幸村が落ちてきたのが昼日中。小十郎がせっせと畑を耕していた時分のことだ。
 今日はいいごぼう日和だぜ…などと呟いていた小十郎が爽やかな汗を拭きながら空を見上げた―――そこで、幸村が目の前に、それこそなす術もなく落ちてきた。

 そう、小十郎の愛すべき農作物の上に、である。

「いいえ政宗様。こいつにゃあ食べるもんの大切さってやつをよっくよく教えこんでやらねぇと気が済みません」
「……そうかい」
 さっきから幸村は、ついた泥もそのままに正座させられてずっと説教されている。小十郎は小十郎で、ずっと極殺状態だ。他の家臣たちは恐怖で怯えてすみっこで震えあがっている。
「確かにこの幸村、落下地点の確認をせずに落ちてきたことは武士として恥じ入るべきことであると考える!」
 佐助がここにいたら、「いやそれ無理だし」と言いそうだったが、残念ながらまだ顔を見せていない。そろそろ出てきそうではあるが。
「次からは某、精進して参ろうぞ」
「次、なぁ…」
 小十郎の気持ちもわからなくはないので政宗も止めるに止めにくい。そもそもこうなったら手をつけられなくもある。
 政宗としては、久しぶりの幸村だ。さっさと引っ張り込んでなんだかんだとやりたいことやら言いたいことやらあるのだが。
 そう思って、先ほどから小十郎の後ろから幸村に合図を送っているのだが、さっぱり気づいていないようだった。
(Ah-…ついてねぇ)
 そう思うべき本人は、小十郎の説教を受けてもこたえた様子もない。むしろ信玄の拳の凄まじさに酔いしれているような気配もある。
 小十郎の尋問により、幸村が特訓だか訓練だかをしていたのだろうことは知れた。
 それでどうしてここまで来れるんだよというよりは、自分がその場にいなかったことの方が悔やまれる政宗である。

 自分がその場にいたら。
 見ようによっては鳥みたいに見えた幸村に、惚れ直したりしたかもしれない。
(ま、惚れ直すとか必要ねぇけど)
 終わらない極殺説教を聞き流しながら、政宗は笑った。
 末期だよなぁ、なんて思いつつ。




過ぎた日の傷(けいこじゅ)



 伊達政宗が重傷だという噂はあっという間に京都の慶次のところまで広まっていた。
 政宗には竜の右目―――小十郎がついている。なのにむざむざ怪我など負わせる男だろうか。
 そう思って、違和感を覚えたところに、さらに追い討ちのように噂を持ってきた男が口にした名が悪かった。

「松永久秀だってよ。怖ぇよなぁ」

 その名を聞いた瞬間。
 慶次の中で、音を立てて血の気がひいた。
 喧嘩と、悪戯と。腕が立つ自分たちの力を過信して、取り返しのつかない事態を招いた過去が走馬灯のように蘇る。
「…おーい、慶ちゃーん?どうしたよー」
「…ん、あぁ…。ちょっと、その怪我人の顔でも見てこようかなってね…」
 指先が冷たい。まるで自分のものでないような錯覚を覚える。それくらい、血の巡りは悪かった。
(…小十郎サンは…大丈夫、だよな…?)
 決定的に、奪われた。失われた。ただ無邪気に生きていたあの頃を。
―――思い出して、慶次は何も言えなくなった。前へ進むべき足が竦む。
 何故だか笑いがこみ上げてきた。
 一体、いつになったら過去を清算できるのか。いつになったら、「過去のことさ」と笑えるようになるのだろう。

 いつまで自分は、過去を引きずって前へ進めないまま。
(…俺はあの人を少しでも楽にしてあげたいのに)
 このままでは。
(…逢いたいな。あの目、見たら…たぶんもう大丈夫、なのに)

 だが奥州は遠くて、慶次は立ち尽くしたまま途方に暮れた。