火というのは近づきすぎると魅入られる。
 今になって、ああよくわかる、と思って、政宗は大きなため息をついた。
 つくづく病気だ。
「また来たか」
 家臣から、また甲斐から真田幸村が単身やってきたという報せを受けて、表面は面倒臭そうにしながらも、政宗は内心喜んでいた。一瞬心臓が大きく脈打って、それに押されるように足を運ぶ。
「今回はどんな言い訳を使ってきやがった?」
「もうそろそろ良い口実も使い切る頃かと思われますな。『大切な報せ』があるそうです。何がどう大切かは我々には口を割らぬつもりのご様子で」
「Okay…まぁアレが大切だっつったらおまえらは通すしかねぇな。一応武田信玄の信頼する男だ」
「ええ、意外に頭のまわる男でございますな」
 幸村が来るたびに使う言い訳は、すでに伊達家臣の中ではもっぱら賭けの対象になりつつあった。はじめて会ったのは戦場で。刃を交えてお互い結構な傷を負った。
 それが治りつつあった頃、幸村はやってきて、やれ甲斐の特産だの信玄の書状だのと、気がつくと両の指で足りないくらいに会いに来るようになっていた。
 なんなんだこいつはと思った頃に、ふと政宗自身が幸村が来るのを楽しみにしていることに気がついた。
 最初は言い訳が面白いとか、単純な興味とか、いっそこいつを懐柔すれば武田はあっさり落とせるのではないかと思うことで誤魔化した。
 しかし、無駄に違うと否定しても、結局行き着く結論は常に同じだった。

 逢いたい。

 政宗にするとそれはもう青天の霹靂以外のなにものでもない。常に叫んでいるような喧しい男だし、純粋に武勲を挙げることを目標にしていて、普段なら相手にもしないような男だ。
 政宗は、本来はああいった男は好きではない。常に全力で常に真剣で常に真っ直ぐ。そういう奴こそ本来疑ってかかるべきだと思う。
 しかし、そうするのも馬鹿らしいくらい、本人は真っ直ぐでどうしようもない。愚直っていうのはこういう奴のことを指すのだと言ってやりたいくらいだ。
 ふと後ろを行く家臣の足が止まったのを感じて振り返れば、にこりともせずに言い切られた。
「殿、我々は退散いたします」
「what?」
「殿と真田殿で何かありましても、我々は関知いたしませぬ。正直言いますと、お二人が会われるたびに何かしら壊されますので、後始末は勘弁願いたいと思いまして。ですので、喧嘩上等、何でもしてくださいますよう、真田殿は殿の私室にお通しいたしました。ちなみにこれは成実の言い出した策でございますので、苦情はそちらへお願い申します」
 突然物凄い勢いで言われて、政宗は思わず廊下でかたまりかけた。
 実際、幸村と逢うたびに何かしら壊しているのは事実だ。最初は幸村の煮え切らない態度にキレた政宗が湯のみを全力で投げた。幸村はそれを見事な反射神経で避けた。その後も、そういう事が続いた。喧嘩したり、突然腕ならしだと手合わせをはじめて庭が損壊したり。
 一応政宗もそれについては何かしら言いたいことがあったが、一番の家臣であるこの男が無表情で言い切ったので、最早何も言い返せる言葉がない。
「…上等だ。今日はそういう事にならねぇから、楽しく賭けでもしてやがれよ」
「Yes,sir。勿論そのつもりでございます。ちなみに本日は殿の大切にされている書などが高配当で」
 最後まで無表情の鉄仮面で通した家臣を下がらせると、政宗は一つ深呼吸して自室へと向かった。
「政宗殿!」
「また来たか、テメェは」
「今日は某、大切な話がございましてござる」
 名を呼ぶ幸村の声に、一瞬浮き足立つのをどうにか抑えた。もしかしたら声に喜色が混ざったかもしれないが、向こうが気づく様子はなかった。そしてそのかわり、幸村の目は真剣でどこか思いつめているように見える。なんだどうした、と思わず引き込まれるように畳に膝をついた。
「で、なんだよ大切な話ってのは?」
「…そ、その」
「ああ、待て。言うな、当ててやる」
「え、あの」
 妙に真剣な様子に、政宗の中で、まるで蛇でも這い出てきたような不快感がよぎった。耐えられずに幸村からの答えを丸ごと奪いとる。
 真剣に何かを言い出そうとした幸村は、居心地が悪そうにこちらを上目遣いで見ている。それが不快感を煽る。なんなんだ。
「そうだな、たとえば俺に降る気になったか?」
「違いまする」
「即答かよ。じゃあ信玄公が倒れたか?」
「お館様とは本日もいつものように殴りあいを少々」
「ahー…いつものように、ね。そりゃ失礼」
「政宗殿、そうではないのだ」
「じゃああの忍びがついに武田に愛想をつかしたか?」
「それもありえぬ話でございますな」
「…それをそう思ってるのがアンタだけじゃないといいな」
「政宗殿」
 幸村が膝を進ませて近寄ってきた。その上で、政宗の腕を強く掴んでくる。熱い。こいつは指の先までこうなのか。
「政宗殿、某、この真田源ニ郎幸村…政宗殿をお慕いしております」
「…何?」
「政宗殿にご迷惑がかかるとは思うております。しかしどうにも政宗殿のことを思うと某の中で、疼く」
「疼く…ねぇ」
「何故かいつも政宗殿のことを考える。何をしていても、政宗殿であったらどうするだろうかと考える。某はどうかなってしまったのではないかと思い、ずっと考え、ついに昨日夢に見た」
「………」
「夢で、某はその」
「…なんだよ」
「いや、その…」
「……そこまで言っておいて焦らすのはcoolじゃないぜ」
「…その。某、が、政宗殿を…その、組み敷いて」
「へぇ」
「も、申し訳ござらぬ!!」
 瞬間、幸村はまた数歩下がって土下座した。ほとんど畳に額がつきそうな勢いだ。政宗はそれをじっと見つめる。夢に、見た?
「組み敷いて、どうした?」
「こ、これ以上はその」
「どうした?」
「その…そ、そんなに見つめないでくだされっ! あ、いやその」
「どうしたのかって聞いてんじゃねぇか。せいぜい俺を組み敷いて、それでテメェの口からはとても言えないような破廉恥なことでもしていたか? 俺相手に」
「も、申し訳ござらぬぅぅぅッ!! この幸村、一生の」
「不覚は俺だ」
 いっそ腹をかっさばいて詫びようとする幸村の頭を左手でおさえつけて動きを封じた。ぱっと見には幸村を無理やり土下座させているような状況だ。しかし政宗はそのまま呟いた。
「テメェは最悪だ。…何言ってるかわかってんのかよ?」
「申し訳ござらぬ!」
「詫びて済む話なのか?」
「……」
「大切な話ってのはそれだけか?俺に詫びるだけか?詫びてそれでもうその夢は見ないか?」
「……いや」
「そうだろ、そうだよなぁ」
「…それは、まことに…」
「言い訳はどうでもいい。俺をそういう対象としているなら、本音を言いな。今更何を取り繕う必要があるよ」
「…政宗殿」
 そういうと、ようやく政宗は幸村の頭から手をどけた。そろそろと顔を上げた幸村を見ておかしくなる。戦場でのあの様子を知っている者がこの姿を見たら、皆さぞ言葉を失くすだろう。それくらい、情けない顔をしている。
「その夢の中で、俺はどうだった?」
「え」
「どうだった?」
「ゆ、夢でござる…ので、あまり…いや、あまり思い出したくないのだ。某は嫌がる政宗殿を」
「へぇ、嫌がってたか」
「…と、当然でござる」
「当然か?」
「え?」
「俺が嫌がるのは、当然か?」
 一瞬、幸村が息を呑んだ。
「夢の中の政宗殿は、泣くほど嫌がっておられた」
「夢だろ?」
「…政宗殿、某を試しておいでか?」
「試してどうすんだ」
 「では、某にわかるように伝えていただけませぬか」
「…そう来たか。上等だ、テメェもただの猪じゃねぇな」
「政宗殿は異国の言葉も操られる。そう望むのは、致仕方ないこと」
「…顔上げな」
「……」
「それから、こっちに来い。もっと近くだ」
「…これ以上、でござるか?」
「そうだ」
 ゆっくりと近づいた幸村の身体。そしてその双眸をじっと見つめる。居心地悪そうに、だが幸村は目をそらそうとしなかった。逸らさないのか逸らせないのかはわからない。だがそれで十分だ。
 政宗は、腕を伸ばして幸村の頭を抱き寄せた。抵抗しない幸村に、政宗は顔を近づける。幸村の指先は温かい。いやいっそ熱いといっても過言ではない。ではその唇はどうだ。それ以外は。
 唇が触れた瞬間、幸村はびくりと身体をこわばらせた。それは恐怖というよりは驚きと困惑だったはずだ。しかしそれは一瞬で、幸村の理性が吹き飛んだのがわかった。そんなものは粉々にしてやる。理性なんて必要ない。もっとこっちにぶつけてくればいい。
 理性が吹き飛んで、その瞬間に幸村は政宗の身体を強く抱きしめた。力加減なんて知らない、相手のことなど気にもしない、そういう強さだ。痛みより、それを快感に思う自分がおかしい。
 長かったのか短かったのかは判然としない。幸村に触れたところ全てが熱い。
「ま、政宗殿…っ」
「夢と現実と、どっちがいい」
「よ、良いのか」
「どっちがいいんだ?」
「そ、それは勿論…」
「okay,俺もそうだ」
 幸村は目を白黒させて、しかし政宗に触れたことで今までどうにか踏みとどめていた熱を、どうしようもなく政宗本人にぶつけながら笑った。それは一瞬、焔が空高く舞い上がるように見える。あの焔はきっと熱い。触れてはいけない。わかっていても、ついふらりと歩み寄って、戻れないところまで行く。焔は危険だ、見つめていると魅入られる。人に関知できない勢いで、迫ってくる。
 ああでも、その熱も全部、受け止めてみせる。
 この男から向けられる、何もかも。
 これが病気ならそれでもいいし、治らないならそれもいい。
 だから全力で向かってこい。そうでなければ、この感情はきっとおさまらないのだから。



BACK 

そして伊達家臣団は、真田がかえった後に何も壊されていないことにショックの後、大ブーイング(爆)