真田幸村から書状が届いた。 が、読めない。 矯めつ眇めつして何とか読んでやろうとしたが、どうやっても読めない。壊滅的に一文字目ですら読めない。 「Oh
my...意味わかんねぇぞ!!!!」 それでも一刻ほどはこの書状相手に格闘していたように思う。 読めない理由は単純で、ほとんど蚯蚓がのたくったような字だからだ。 今度上田に行ったらまず字を覚えさせるところから始めるべきか、いやいやそもそもあの忍びと甲斐の虎はどうした。戦ばかりでなく文字の書き方でも教えてやる奴は武田にはいないのか。 いくら乱世だからといってもこりゃないだろう。しかしあの武田軍なので、教える時も気合でなんとかしそうである。そう思ってため息をつきながら、その書状を眺めた。 まず墨の色が悪い。薄かったり途中からいきなり濃くなったりしている。 どうやったらこういう事になるのか。 慣れてないなら慣れてないでこんな風に書状を送ってこなければいいものを。 思わず放り投げた。もちろん何の仕掛けもない文は力なくふわふわと畳の上に落ちるだけだ。 「…政宗様」 そこに実に丁度いいタイミングで小十郎が現れる。放り投げた書状と共に、政宗自身も畳の上に転がっていて、大変行儀が悪かった。 とはいえ伊達軍で行儀のいい悪いもないのだが。 「おい小十郎、それが読めたら褒美くれてやるぜ」 足元に落ちているその書状を、小十郎が拾い上げた。 しばしの沈黙。 やはり誰にも読めない。 幼い子供が初めて字を習ったかのようなものである。読めるわけがない。そもそも一刻以上もかけてこの暗号文のような書状を読み解こうとしたのである。 これを口実にして上田に行き、書状を叩きつけて読めねぇ!と叫ぶのも手かもしれない。 ついでに一戦交えてもいい。 そう思っていた矢先、小十郎がぽろりと呟いた。
「政宗殿、いかがお過ごしでございましょうか。上田はまだまだ暑気が過ぎ去らず、しかし風に秋の気配を感じる昨今にて候」 「What!?こ、小十郎おまえ読めるのか!?」 慌てて起き上がった政宗を無視して、小十郎はさらに読み進めた。 「そちらではすでに秋の訪れを感じられますでしょうか、奥州では稲穂の垂れる様はそれは見事であると佐助から聞き、一度見てみたいと思っております」 小十郎は顔色ひとつかえずに幸村の書状を読み上げている。何故あれが読めるんだ、と政宗は思わず目を瞬かせているが、それよりも。 蚯蚓をのたくったような字であれ、幸村は慣れないことをしてこんな文を届けてきたのか。 合戦場の、ど真ん中でばかり顔をあわせていた。 平時にこういう形で文を貰うこともなく、お互い気が向いたら武器を片手に出向いて刃を向け合った。 それでも、互いに立場というものがある。 幸村は武田信玄に特に可愛がられている武将だ。信玄第一と考えて、いつでもその意気込みで戦場に立っている。 そういう時の真田幸村は、どこかまだ自分を押さえ込んでいる何かを感じて、あまりそそられない。 ただし、向こうがこちらの姿を認めた瞬間に見られる変化には、いつも背筋に何かが走るような感覚があった。 だから、戦場でなければ何も感じない相手だろうと思っていたのだ。 戦うことで感じられる最高の熱。 だけど。 「…従いまして、月見でも」 「Okay,小十郎。褒美は何が欲しい。さっさと決めな」 「ではそれを決める時間を」 「…All
right,俺が帰ってくるまでに決めときな!」 勢いよく立ち上がり、小十郎の手から書状を掠め取る。そのまま物凄い勢いで廊下を駆けていく。 小十郎の解読した内容に、心が逸る。 なんだこれは。どういうことだ。 柄でもない。 苦笑しながら、馬に飛び乗った。 もうなんでもいい。ただ、会ってこの書状を見せて馬鹿にして、ついでに笑って、 逢いたいだけだ。 「…行った?」 「……貸しにしてやる」 政宗が消え去ってからようやく、音もなく現れたのは、真田忍び隊の長である猿飛佐助だった。 不機嫌極まりない小十郎の様子に、佐助はどうもすいませんね、と頭を掻く。 「それにしてもずいぶん腫れてるじゃねぇか」 小十郎は佐助の顔を見て男前だぜ、と笑った。右頬が、忍び装束でも隠しきれないほど晴れ上がっている。 「ああ、そうそう。なんか勢い良く殴られた」 たっまんないよ、と苦い笑みを浮かべる佐助はさらに続ける。 「たーいへんだったんだから!真田の旦那は不機嫌だし前田慶次はやりたい事やっていなくなるし、しかもその前田慶次が忍びよりも鮮やかに書状の中身摩り替えるってんだから、やってらんないよ!気がついたから良かったけどさ!もうほんと、助かりました!」 「…貸しだからな」 「ああ、でも俺様すっごい多忙で武田は忍び使い荒いから、忘れちゃうかも」 「安心しろ。ここでチャラにしてやる」 ゆらり。小十郎の身体から、殺気じみた気配が立ち上った。 あっやば、なんて思う間もなく、佐助の目前に小十郎の刀の切っ先が向けられる。 「手合わせ願うぜ、忍び野郎」 「あの、穏便に」 「Shut
up」 「あっ伊達軍っぽい伊達軍っぽい…ちょ、待った待ったたんまぁぁぁ!!」 佐助の絶叫が、城内に響き渡った。
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